君との思い出を僕は運命と呼ぼう

 

 

【運命】人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶禍福。それをもたらす人間の力を超えた作用。-広辞苑

 

オタクって「運命」って言葉好きですよね。「推しと出会ったのは奇跡なんかじゃなくて運命なんだ」って言いたいですよね。タイトルからわかるように、私もそういう人間です。

これはいろんな奇跡が重なって、今関西ジャニーズjr.なにわ男子の藤原丈一郎くん担当をしている、しがない大学生の自担との運命を語ったブログです。特にオチはありません。暇つぶしにでも、読んでくださると幸いです。

 

 

 

私の「オタク」の始まりは10年前、そのときハマったのがけいおん!でした。

 

小学校の友達の影響で5×10のMV集を見たのがきっかけで、あっさり嵐の虜になりました。何か一つのコンテンツにがっつりハマるのも、ジャニーズに触れるのも、何もかもが初めてで、新鮮な楽しさがありました。当時小学生だったので「相葉雅紀」が漢字で書けることを祖母に自慢するような超絶ピュアなファンでした。かわいいかよ。

 

そこからしばらく、アイドル誌を買ったりDVDを見たりとゆるゆると嵐ファンをしていたのですが、兄の影響で何気なくけいおん!を見てから、完全に二次元に魅了され「オタク」になりました。

けいおん!らき☆すた、家庭教師ヒットマンREBORN!、D.Gray-manなどなど…、すっかり二次の民となり、作品を見て楽しむほかに絵を描いて送ったり(単行本の最後にファンアートを紹介することがあったので)、マネして漫画を描いてみたり、声優さんにもハマってみたり…。

 

そんなこんなで、小学生~中学生まで二次強めのゆるジャニオタを続けていたある日、友達に誘われ、嵐ファン3人で「映画エイトレンジャー」*1を見に行きました。

 

映画鑑賞後、

映画館から出てきたのは嵐ファン1人と関ジャニ∞のファン2人でした。

当時、ジャニーズで詳しく知っているのは嵐くらいで、正直なぜエイトレンジャーを見に行こうと思ったのか全く覚えていませんが、

これもまた運命。

 

映画の後、関ジャニ∞が気になり調べていくとあっさり大倉忠義氏に落ちました。「え?こんなかっこいい人がいるの?」「大倉君好きすぎてやばい」「た、たっちょん*2…(照)」というしゅきめろオタクかましてました。

この時から自分の中で明確な「自担」という存在が確立されるようになりました。

ちなみに一緒にエイター*3になった友達は錦戸担で、二人で関ジャニ∞お勉強の日々が始まりました。

 

その時からどのくらい経ってからかはわかりません。

数週間後なのか数か月後なのか数年後なのか、

 

気づいたら私は渋谷すばるに心酔していました。

 

これも本当にきっかけを思い出すことができません。気づいたら、なっていたんです。怖いですねぇ。

 

私が一番最初に、自分のお金で買ったジャニーズのライブDVDが「KANJANI∞ LIVE TOUR JUKE BOX」*4。今でもこのDVDが一番好きなのですが、

とにかく渋谷すばるの迫力がやばい。

魂が震えるパフォーマンス、それまでの「ジャニーズ」の概念が崩れ落ちました。

好き、という感情ではなく心酔、崇拝と言ってもいいくらいかもしれません、その熱量は変わることなく、5年ほど関ジャニ∞渋谷すばるのファンをしていました。

「映画エイトレンジャー2」の公開や、関ジャニ∞として2回目の24時間TVの司会(発表は嵐の番組で壁突き破って登場し乗っ取り。「友だちやん」っていう謎の言い訳するエイトとあきれつつうれしそうな嵐。黄金期*5…号泣)、プレミアムフライデーのナビゲーター等の国からのお仕事、増える冠番組にメトロック出演などバンドとしての世間からの評価、もちろん個人のお仕事も増え、昔から大事にしている番組(「関ジャニ∞のジャニ勉」)は放送400回そして10周年を迎えるなど、すごくすごく幸せな時間でした。

 

永遠に続けなんて願わないから

せめてあともう少し もう少しだけ (元気が出るSONG/関ジャニ∞)

 

2018年4月15日

その日はやってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

渋谷すばるジャニーズ事務所からの退所を発表

 

 

 

え?

 

は?

 

なんで?

 

理解が全く追いつきませんでした。

 

けど、涙は溢れて、止まりませんでした。

 

前日、この内容が週刊誌にすっぱ抜かれていて、そのとき錦戸担の友達とLINEをしていた内容は

「うそだよね?」「理由がありえんすぎる」「つらい」「何事もなく月曜日になんないかなあ」

現実であってほしくなくて、嘘だと自分に言い聞かせながら朝方まで眠れずにいました。

起きた時には会見が始まっていました。

 

信じたくなくても、目の前の現実は変わらなくて、やっとそれが分かった時、声をあげて泣きました。

そこからは虚無の時間。次の日、学校になんて行けるはずもなく、一日中泣いていました。

 

7月8日はあっという間にやってきました。

渋谷すばる、最後のテレビ出演。「関ジャム完全燃SHOW」。

会見でふてくされていた大倉さんが、笑顔だった。丸ちゃんも、会見に立ち会えなかったヤス君もセッションを楽しんでいるようだった。ヨコとヒナちゃんは、親友の姿を優しく見守った。ずっと毅然とした態度で過ごしてきた亮ちゃんが、涙を流した。

すばるさんは、泣かなかった。

 

正直世の中に「永遠」なんてない

 

放送後の、錦戸亮の言葉です。

個人的な印象として、亮ちゃんは「永遠」にかなりの理想を抱いているなと思っていました。それは先ほどの元気が出るSONGの歌詞からも、ソロ曲stereoの歌詞からも感じられました。そんな亮ちゃんに”「永遠」なんてない”と言わせるなんて、現実はあまりにも残酷だと思いました。

 

7月15日

関ジャニ∞6人体制として初めてのLIVEツアー「GR8EST」が札幌ドームから始まりました。

会見の時から「このツアーで最後にしよう」と決めていました。

エイトのライブだけじゃなくて

もしかしたらジャニーズからも卒業かな、そんなことを考えていました。

 

札幌ドームには、7人のうちわを持っていきました。まだ6人の関ジャニ∞を受け止めることができていなかったから。エイトからしたら、迷惑な客だったかもしれません。でも、すばるさん以外のうちわを持つことなんて考えられませんでした。

会場に入り、席に着き、エイトコールをする。新体制のエイトを応援する気持ちからか、その日のエイトコールはすごく大きかったように感じました。

OPの映像、わかってはいたけど、すばるさんがいない。

そして一曲目。

「応答セヨ」

7人での最後のシングル曲。

後日、亮ちゃんはこのセトリの意味を教えてくれました。

7人の関ジャニ∞から逃げたくなかった

関ジャニ∞らしいなと思います。

1曲目が始まった瞬間から現実を目の当たりにして涙が止まらなかったのですが、一番苦しかったのは「NOROSHI」。

『手のひらが 背に触れた』

亮ちゃんが歌い上げました。会場からは大歓声。

けど私は

ちがうよ、そこはすばるさんのパートだよ。なんで歓声が上がるの。

コンサートに来たファンとしては最低な感想だったと思います。でもそう思ってしまいました。ステージを見つめ、ひたすら涙を流しました。

そこからは放心状態、ただ面白い歌割があったり、懐かしいユニ曲があったり、後半に行くにつれ、なんだかんだ楽しめていたと思います。

 

8月23日

京セラドーム大阪、念願の関ジャニ∞大阪公演、

今まで当たらなかったのにこのツアーでようやく当選。

これが本当に最後なのだと悟りました。

一抹の寂しさを抱え、東京から大阪へ向かう新幹線の中でメールが届きました。

 

台風20号接近のため、中止

 

笑えるほどあっけない最後だと思いました。

 

でも、それが始まりでもありました。

 

ベストアルバムを引っ提げての記念ライブでもありますし、もともと大阪凱旋公演の予定があり、会場も抑えてあったのだと思います。

11月17日にこの日の振り替え公演を行うことがすぐに発表されました。

 

ほんとにほんとに最後のコンサート

 

その気持ちで参戦しました。

前回から時間が空いたこともあってか、純粋に楽しめていたと思います。

初日から少しセトリも変わり、あっという間に後半戦。そこで大倉さんからひと言

 

関西に4年ぶりにグループができました!

レッツゴー、なにわ男子!!

 

メインステージにはなにわ男子の姿、会場からは大歓声があがりました。

実は直前に更新された日刊で、高橋恭平くんがGR8ESTのスタッフTシャツを着た写真を載せていました。なので「もしかしてバックにつくのでは?」とざわざわしていました。

 

そしたらまさかの楽曲披露

メンカラ衣装に身を包み、大スクリーンに名前まで出て、生で歌う

初めてのオリ曲、「なにわLucky Boy‼

なにわ男子、最高に輝いていました。

55,000人がペンライトを振り、歓声を上げ、彼らのパフォーマンスを見守ります。

 

関ジャニ∞最後の現場が

なにわ男子最初の現場になりました。

 

…「運命」って言いたくなる気持ち、わかりますか…。

 

この頃すでに、私は丈くんのファンになりつつありました、というかなっていました。

話は少しさかのぼり、すばるさん最後のテレビ出演の後、あまりにも虚無すぎてわたしは色々なものに救いを求めました。漫画、アニメ、ユーチューバー、

そして関西ジャニーズ

ジャニーズWESTにハマりたい、救って欲しい、そんな気持ちから少クラ*6のWESTさん出演部分を残し、少クラin大阪もディスクに残していました。

しばらくしてから、大倉さんと横山さんの関西ジャニーズjr.プロデュースが発表され、なにわ男子が結成。(ここで少し強調しておきたいのが、私が丈くんを知ったのはあくまでもなにわ男子結成後なんです。これもまた運命なのかな。)

ふ~ん、関ジュかぁ…と、予備知識なんてほぼないまま動画を見るようになりました。その流れで、残っていた少クラin大阪を見てみる。正直まだ全然名前もわからず、なんとなく見ていたのですが、途中の「お笑いshowバトル」、関西らしい漫才披露のコーナーで驚きました。

 

なんか一組、ガチなのいない?

 

関ジュ担の皆さんならお分かりだと思うのですが、室龍太くん藤原丈一郎くんのコンビです。声出して笑いました。湯切り…。

同じころ見たyouたち*7の漫才。最初は霜降り明星がゲストの回のまいジャニ*8、消防士の漫才でした。

 

右の人、めっちゃかっこよくない?

 

救急車に乗り込むシーンのカーディガンを直すしぐさと、最後の「消えてません」の顔がかっこよすぎて、丈くんのビジュにやられた後

 

え?この人が漫才書いたん??天才すぎん???

 

漫才出の丈担の爆誕です。

わたしも、まさか漫才を見てジャニーズを好きになるとは思っていませんでした。

自分でもびっくりです。

それからたくさんの漫才を見て(ジャニオタのすることか?)、どんどん丈くんの笑いのセンスにハマり好きになっているときに見てしまった

丈橋*9出演の「PON!」。

 

丈「超イイ」

(ウインク バシーーーーン☆)

 

私「!?!?!?!?!?」

 

何が起こったのか、私は一体何を見たのか。

漫才で完全に丈担になった私を、絶対に抜け出せない沼の底に落とした丈くんのウインク。

 

そんなこんなで、GR8ESTに参戦したころにはもう丈担ではありました。

なので、京セラドームで歌う丈くんが見れて、本当に幸せでした。

ただこの時はまだ関ジュに関する知識が少なく、彼らがドームで歌うことの意味があまりわかっていませんでした。今見たら絶対号泣ですよ…。

それは札幌公演で流した涙とは、全く違う意味の涙です。

 

丈橋に出会った先ほどの「PON!」でもう一つの出会いがありました。

ミュージカル「リューン~風の魔法と滅びの剣~」

それまでジャニーズの舞台を観たことはなく、むしろミュージカルは苦手なほうでした。そのため、その時はそれほど気になっていなかったのですが、丈橋関連の動画を漁っていた時に見た「まいジャニ」、長尾君の舞台紹介コーナーで少し窺うことのできたリューンの世界観。

 

これは観たい

 

そう強く思いました。しかしその時すでに全公演終了しており、映像化もしないとのこと…。

もう少し、はやく知っていれば…、そんな後悔が後を絶たなかったのですが、リューン公演期間、私はただの幸せなエイターでした。その幸せがなければ、と思うこともできません。

どうしようもないな、と忘れようとしていた時

 

リューン再演決定!!!

 

(号泣)

何が何でも行ってやる、強い気持ちで決意しました。

ありがたいことにリューン再演、すでに3公演ほど観劇することができているので、その感想もいつか書けたらなと思います。私のちんけな語彙と感性ではとてもじゃないけど語り切れませんが…。

 

リューン再演決定から、公演が始まるまでに、もう一つとても大事な出来事がありました。それは

 

バーチャルジャニーズプロジェクト

海堂飛鳥苺谷星空

 

最初聞いたときは本当に驚きました…。やるとしても東京のジャニーズjr.、それもきっと無所属の人がやるんだろうなぁと思っていました。それがまさか、関ジュの、しかもなにわ男子として活動中、歴でもかなりベテランの位置にいる二人が?と。

バーチャルジャニーズのことに関してもブログ書きたいですね。これは本当に書きたい。プロジェクト自体に不信感をもっていた奴が、今では「はぁ〜飛鳥ちゃんかわいい(〃ω〃)」しか言えなくなってるんですから…。恐ろしいわぁ。

 

そんなこんなで(?)すっかりバーチャルにもハマりあすかなアート*10錬成おばさんになっている私。

 

今、幸せです!!!!!

 

ジャニオタやめようと思っていたのに、ジャニーズに救われてしまいました。

 

 

 

大変長くなりましたが(ほんとに長いな)、最後に私がこのブログでテーマにしていた「運命」について、少し。

冒頭でも書きましたが、「運命」はいいことだけではありません。自分の意志を超えたところから自分に降り注ぐあらゆる出来事。ただ、人智を超えたものであるからこそ、不幸であっても受け入れられ、幸であれば特別なうれしさを感じるものなのではないでしょうか。

私の「オタク」としての運命はどんなだったか、

友人の影響で嵐を好きになった

これはもう、はじめの一歩。その友達がいなかったら、私はきっとジャニーズ知らずに死んでいたでしょう。ありがとう、相葉担のしょうこちゃん。

二次元にハマった

ジャニーズを好きになるのに、直接関係はないかもしれないけど、はっきり言えるのは、このことがあったおかげで、私は今あすかなを応援できているしあすかなアートを描いている。

関ジャニ∞のファンになった

幸せだった。関ジャニ∞を、渋谷すばるを好きになれてよかった。今でも「関ジャニ∞」が大好きです。

(そしてもちろんその時も幸せだったけど、そのころ録っておいた番組にちょいちょい丈くんが出てる。やばい。サニーレタス丈一郎やばい。)

渋谷すばるが退所

これは、苦しい運命だった。もうきっと、オタクをやっててあんなに泣くことはないんじゃないかな。でもそのおかげで、新しい出会いがありました。

少クラ

少クラin大阪のほかに、山下智久くんが出てた少クラもなんとなく編集せず(!)残してあった。そこには丈橋の「Give me...」があった。奇跡ジャン…。

なにわ男子結成後に好きになれた

これも本当に幸せだと思う。もし、私がエイターをしながらFunky8*11を好きになっていたら?考えるだけでも恐ろしいです。すばるさんの退所にFunky8の解体、絶対立ち直れないだろうし、なにわ男子を素直に応援できている自信がない。後から知れて、よかった。

京セラドーム大阪でなにわ男子のパフォーマンスを見ることができた

一番運命を感じて、感動しました。先ほども述べましたが、本当にジャニーズの現場は最後にしようと思っていたんです。丈担ではあったけれど、なにわ男子のものであってもきっとコンサートを見ると悲しくなるから。でも、それは悲しい「最後の」公演ではなく、幸せな「最初の」公演と言い換えることができました。次は、なにわ男子が自分たちの力でこの場所に戻ってくる姿を見たい。なにわ男子なら絶対にできるし、私も精いっぱい応援したい。

リューンのスピード再演

もう観られないという絶望からの再演決定の知らせ。おこがましくも、「私のための再演じゃん!」とか思ってました。思ったもん勝ち!本当に素晴らしいミュージカルでした。再再演が叶うように、今度は私も声を上げさせてください。

 

渋谷すばるに、関ジャニ∞に、藤原丈一郎に、なにわ男子に出会えたことは運命だった!!!!!

ちいさな偶然や奇跡をたった一つでも取りこぼせば、この出会いはなかっただろうから…。

 

 

最後に、ここまで読んでくださりありがとうございました。

皆さんもきっと、自担と出会った時のことや今の状況を改めて考えてみると「あぁこれは運命なんだ」と言いたくなると思います。

一つ一つは気まぐれな奇跡かもしれない、でもその先にある甘い運命を感じちゃってもいいんじゃないでしょうか。

 

-おわり-

*1:2012年公開。主演:関ジャニ∞

*2:大倉忠義さんの愛称

*3:関ジャニ∞のファンの総称。渋谷すばる命名

*4:2013年~2014年に行われた関ジャニ∞のライブツアーを収録。初回限定盤の総収録時間は驚異の601分。おかげでGWは暇しなかった。

*5:1995-2000年頃まで、滝沢秀明 今井翼関ジャニ∞ 山下智久 生田斗真 風間俊介などがジャニーズJr.として活躍していた時代。この時、東京ドームにてジャニーズJr.単独公演を行なっている。

*6:少年倶楽部

*7:室龍太くん、藤原丈一郎くん、草間リチャード敬太くんのトリオ

*8:「まいど!ジャーニ~」関西ジャニーズjr.の番組

*9:藤原丈一郎くんと大橋和也くんのコンビ・シンメ。尊い。ヨコヒナ好きな人は絶対好きだから。これは断言する。

*10:ファンアート。あすかなは海堂飛鳥と苺谷星空のコンビ名

*11:中山優馬くんのバックとして屋良朝幸くんにより選抜された関西ジャニーズjr.の8人の総称。大橋和也 朝田淳弥 林真鳥 古謝那伊留 草間リチャード敬太 末澤誠也 今江大地 藤原丈一郎